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東京地方裁判所八王子支部 平成9年(わ)1013号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

第一  公訴事実と争点の概要

本件公訴事実は、

「被告人は、

一  法定の除外理由がないのに、平成九年八月上旬から同月一二日までの間、東京都内又はその周辺において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン若干量を自己の身体に摂取し、もって、覚せい剤を使用し、

二  みだりに、同月一二日、東京都西多摩郡瑞穂町大字武蔵六八番地ホテル「アメニティー1957パート4」(以下「本件ホテル」ともいう。)三〇一号室において、覚せい剤である塩酸フェニルメチルアミノプロパンの結晶約〇・二三二グラム(以下「本件覚せい剤」ともいう。)を所持した。」

というものである。

弁護人は、被告人の右各犯行を全て否認すると共に、検察官提出の証拠にはその証明力がないばかりか、そもそも右二についての被告人の現行犯人逮捕が違法であり、その逮捕を前提として収集された証拠はすべて違法収集証拠として排除されるべきものであるから、右各犯行の証明がなく、被告人は無罪である旨主張する。

第二  当裁判所の判断

よって、以下に検討する。

一  被告人の現行犯人逮捕及び本件覚せい剤の押収手続等について

1  証人手塚正久、同寺門邦浩の各公判供述、第三回及び第一〇回各公判調書中の証人宮田嘉彦の供述部分、第四回公判調書中の証人上原伸二の供述部分、第六回公判調書中の証人篠原正之の供述部分、第七回及び第八回各公判調書中の証人溝口泰弘の供述部分、現行犯人逮捕手続書(甲二五)、捜索差押調書(甲二六)、写真撮影報告書(二通、甲一二、六二)、実況見分調書(甲六八)、鑑定書(二通、甲七、八)、押収してある覚せい剤一袋(平成九年押第二五五号の1、甲一)、同鑑定嘱託書三通(同押号の2ないし4、甲二一ないし二三)、注射筒一本(甲二)、注射針二本(甲三、四)、財布一個(甲五)、箱一個(甲六)、被告人の公判供述、第八回及び第九回各公判調書中の被告人の供述部分、被告人の検察官調書(二通、乙二、三)によると、警察官が被告人を現行犯人として逮捕し本件覚せい剤を押収した状況等は、次のとおり認められる。

(一) 被告人は、平成九年八月一一日午後一時一五分ころ、本件ホテルのフロントに赴き、同ホテル責任者篠原正之(以下「篠原」という。)が応対してチェックインの手続きをとり、同日午後一時一七分ころ、被告人は三〇一号室に入室した。

(二) 篠原は、翌一二日午前九時前に出勤し、夜勤担当者から、被告人が同日午前一〇時にチェックアウトする予定である旨の引継ぎを受けたが、被告人がその時刻を過ぎてもチェックアウトしないばかりか、缶入り飲料水(ポカリスエット)五本を注文し、これを届けた客室担当者から、被告人が入れ墨をしていると聞かされて、篠原は、暴力団関係者を宿泊させ、その滞在が長時間となっており、脅されたりするのではないかなどと心配した。また、篠原は、かつてホテル内で客が覚せい剤を使用して死亡した出来事があり、その時に警察官からジュースを大量に飲む場合には薬物を使用している可能性が高いと聞かされていたため、被告人の薬物使用も懸念した。

(三) 同日午前一一時過ぎ、篠原は、フロント担当者を介して電話でチェックアウトの時間を問い合わせたところ、被告人の返事が曖昧であり、同日午後零時という時刻を言っていたことから、篠原は、本社の担当者と相談をし、同日午後零時まで待ち、被告人に宿泊名簿を書いて料金の精算をさせることになった。

(四) 同日午後零時になり、篠原が、再度、フロント担当者に電話をかけさせたところ、被告人が曖昧なことしか言わずに電話を切った。そこで、篠原は、客室担当者を同行して三〇一号室前まで行き、そのドア(以下「外ドア」という。)の脇のチャイムを鳴らしたところ、奥から被告人が出て来て客室と内玄関の間に設置されたドア(以下「内ドア」という。)を開けた様子がしたことから、篠原が、ドア越しに、「フロントの者です」と声をかけた。被告人は、「うるさい」と怒鳴り返し、「おまえ本当にフロントの者か」と尋ねてきた。篠原が、「料金を精算していただきたい」と言うと、被告人は、「この部屋は二つに分かれているんじゃないか」などと言った後、内ドアを閉めて奥に引っ込んだ様子がした。

篠原は、フロントに戻り、本社と連絡を取った上、一一〇番通報をして、被告人が宿泊料金を支払わないことや被告人をホテルから出してもらいたいことのほか、被告人が薬物を使用している可能性が高いと話した。

(五) その後約一〇ないし一五分経過して、近くの警視庁福生警察署箱根ヶ崎駐在所勤務巡査部長渡部稔(以下「渡部巡査部長」という。)が一人でオートバイに乗ってやって来た。篠原は、渡部巡査部長に、被告人を客屋から出してほしいこと、被告人が入れ墨をしており、薬物を使用しているかも知れないことを話したところ、渡部巡査部長は、フロントの電話を使って応援要請をした。

(六) 福生警察署地域課所属司法巡査寺門邦浩(以下「寺門巡査」という。)及び同溝口泰弘(以下「溝口巡査」という。)は、同都あきる野市秋川一丁目付近を警ら中、同日午後一時一一分ころ、通信司令本部から「瑞穂町武蔵六八番地ホテルアメニティ1957において料金上のゴタ」との無線通報を傍受し、直ちに同ホテルへ急行した。その途中、通信司令本部から「相手は入れ墨をしている一見やくざ風の男」との連絡があり、また、福生警察署地域課の上司である高橋警部補(以下「高橋警部補」という。)から、薬物がらみの可能性もあるので事故防止には十分注意するようにとの指示を受けた。

(七) 寺門巡査らは、無銭宿泊かあるいは立てこもりで、覚せい剤もしくはシンナーを使用しているのではないかなどと考えながら、同日午後一時三八分ころ、本件ホテルに到着し、フロントで、篠原から、「昨日チェックインしたお客さんがチェックアウト予定の午前一〇時になっても出て来なくて困っている。何度か電話したが、曖昧な言葉を繰り返すだけで、出て来ようとしない。従業員が三〇一号室に行ったときに入れ墨をしている男の客がいた」旨説明を受けた。

寺門巡査は、確かめるため、電話で三〇一号室にいる被告人に、「お客さん、お金払ってよ」と話したところ、被告人は、「分かった、分かった」と言って、すぐに電話を切った。寺門巡査は、被告人に料金を支払う意思があるのではないかと思ったが、篠原が、「さっきからと一緒ですね」と言ったため、寺門巡査は、無銭宿泊ではないかと考えた。しかし、ホテルの客室にそのまま入っていくわけにもいかず判断に迷った寺門巡査は、福生警察署に電話をかけて相談したところ、高橋警部補から、部屋に行って事情を聞くようにとの指示を受けた。そこで、寺門巡査は、篠原に、「部屋に行って話を聞いてみましょう」と言ったところ、篠原が、「はい分かりました」と答えたことから、寺門巡査は、篠原から三〇一号室に立ち入って事情を聴くことの了承を得たものと理解し、溝口巡査、渡部巡査部長、篠原と共に三〇一号室へ向かった。

(八) 三〇一号室前に到着した寺門巡査は、同室の外ドアを叩いて、「お金払ってよ」と声をかけてみたところ、中から応答がなかったため、無施錠の同ドアを開けて中に立ち入り、続いて溝口巡査も入った。中は内玄関のような造りになっており、たたきに絨毯が敷かれ、上がり口はタイル貼りとなっていて、上がり口から客室内へ通じる内ドアが閉まっていたため、寺門巡査が、再度、そこから客室内に向かって、「お客さん、お金払ってよ」と声をかけたところ、客室内にいた被告人が、「分かった、分かった。払うよ」などと言いながら、内ドアに近づいて来た。寺門巡査は、内ドアにはめ込まれた曇りガラスを通して被告人が近づいて来るのを認め、被告人が同ドアを内向きに二、三十センチメートルくらい開けたことから、寺門巡査は、被告人が全裸であり、入れ墨をしていることを認めた。寺門巡査は、被告人が自己と目が合うや慌ててドアを閉めたことから、直ちに被告人が内側から押さえているドアを押し開け、ほぼ全開にして客室内に立ち入り、両手の拳を振り上げて殴りかかるようにしてきた被告人の右腕をつかみ、同行した溝口巡査が被告人の左腕をつかみ、その手を振りほどこうとしてもがく被告人を二人がかりで客室内のソファーに座らせ、寺門巡査が被告人の右足を、溝口巡査が被告人の左足をそれぞれ両足で挟むようにして被告人を押さえ付けた。

寺門巡査は、被告人が手を振りほどこうとしたり、足をばたつかせ、体を揺するなどして暴れるため、客屋内にいた渡部巡査部長らに警察官の応援を要請した。

寺門巡査は、被告人を押さえ付けながら、なぜ暴れるのかを問い質したところ、被告人は、「何でお巡りが来るんだ。俺は何もやってねえ」などと答えたが、寺門巡査は、最初に薬物がらみと聞かされており、被告人の目が釣り上がって顔色も少し悪そうに感じられたことや、被告人が殴りかかってきた様子及び終始暴れていて事情聴取するいとまもないことなどから、被告人が覚せい剤を使用しているのでないかと疑い、「シャブでもやっているのか」と尋ねた。被告人は、「体が勝手に動くんだ」「警察がうってもいいと言った」などと答えた。

溝口巡査が、被告人の右手に何かが握られているのに気づき、「右手に何を持っているんだ」と叫んだことから、寺門巡査は、被告人の右手拳の小指の下から針が出ているのを認め、左手で被告人の右手首付近を強く握って注射器を手放させた。

(九) 福生警察署地域課勤務司法巡査上原伸二(以下「上原巡査」という。)は、同署横田交番にいたところ、同日午後一時四〇分ころ、携帯無線機に、「先ほどのホテル内での男が暴れているので、応援に向かえる車があったら連絡願いたい」旨の通報が入ったことから、連絡の上、相勤務者と共にパトカーで向かい、同日午後一時四六分ころ本件ホテルに到着して、開いていたドアから三〇一号室に入った。客室内ではソファーに被告人が真裸で座り、その両脇から、寺門巡査と溝口巡査が、中腰の状態で、「暴れるんじゃねえ」と言って被告人の左右の手と肩を押さえており、被告人は、「うー」「放せ」と言って体をもがくようにして暴れていた。

上原巡査は、最初から薬物使用者との疑いを持って臨場したことから、被告人の右状態を見ても不思議とは思わず、ソファー近くにあったテーブルのそばの床上に落ちていた財布や先端が割れている注射筒、注射針を拾って、注射器を入れる箱や注射針一本が載っているテーブル上に置き、寺門・溝口両巡査と一緒になって、繰り返し被告人に氏名、生年月日等を尋ねた。被告人は黙秘を続けていたが、ようやく答えたため、無線を通じて犯罪歴を照会し、被告人に覚せい剤取締法違反の前歴があることが判明した。

上原巡査は、被告人の所持品を検査するため、寺門・溝口両巡査によってソファーに押さえ付けられて身動きのとれない全裸の被告人に対し、テーブル上の注射器等を指して、誰のものかと尋ね、さらに、覚せい剤が入っているのではないかと考えて、テーブル上の財布を手に取り、「これは誰のだ。おまえのものだろう」と尋ねたが、被告人は答えなかった。寺門・溝口両巡査も加わって追及したところ、ようやく被告人が自分のものであることを認めたため、上原巡査が、「中を見せてもらっていいか」と尋ねたが、被告人は返答をせず、寺門・溝口両巡査からも、「中を見るぞ。いいか」と繰り返し説得し、被告人の頭が下がったのを見て、上原巡査は、被告人が了解したものと判断した。

そこで、上原巡査は、同日午後一時五〇分ころ、右財布を開き、カード入れの部分に入っていたキャッシュカードを見て被告人の氏名を確認し、ファスナーの開いていた小銭入れの部分から白色結晶入りのビニール袋を抜き出して、被告人に、「シャブだろう」と尋ねたところ、被告人は返答しなかった。寺門・溝口両巡査も、「どうなんだ。シャブだろう」と口々に追及したが、被告人は、「俺は知らねえ。俺んじゃねえから、勝手にしろ」などと答えた。なお、右財布の中には、現金六万六五〇〇円が入っていた。

上原巡査は、福生警察署に、無線で、覚せい剤らしきものを発見したので専務員を派遣してほしい旨連絡したところ、最初に同署刑事課の職員三名がやって来て、三〇一号室の客屋内や風呂場を見て回り、その後に到着した同署生活安全課保安係所属司法巡査清水喜隆(以下「清水巡査」という。)が、被告人に対して、覚せい剤の予試験を実施する旨告げた上、被告人に見えるようにして室内のベッドの上で前記ビニール袋入りの白色結晶について予試験を実施し、覚せい剤の陽性反応が出たため、同日午後二時一一分、被告人を覚せい剤所持の現行犯人と認めて逮捕し、右白色結晶等を差し押さえた。

(10) 被告人は、逮捕する旨告げられるや、「何をする、止めろ」と大声で叫びながら、両手を振り回し両足をばたつかせて暴れ出したことから、寺門・溝口両巡査、渡部巡査部長の三名で被告人を押さえ付けて、ズボンのみをはかせて後ろ手錠をかけ、連絡して持って来させた保護バンドで被告人の両足首を縛り、保護マットに包んで被告人を運び出し、パトカーに乗せて福生警察署に連行した。

(11) なお、右白色結晶粉末は、被告人から採取した尿とともに翌一三日に警視庁刑事部多摩鑑識センター内科学捜査研究所へ鑑定嘱託する予定であったところ、後記のとおり、その日のうちに鑑定嘱託手続をとることができなかったため、翌一四日鑑定嘱託をし、同研究所薬物研究員宮田嘉彦(以下「宮田」という。)がこれを鑑定して、同月一八日、鑑定書(甲七)を作成した。

2  右認定事実に基づき、以下に検討する。

(一) 警察官による三〇一号室の客室部分への立入りの違法性について

(1) 本件においては、警察官らが被告人の承諾がないにもかかわらず被告人が宿泊していたホテルの客室に立ち入っており、弁護人はその違法性を主張し、他方、検察官は、ホテルの管理に支障を及ぼすような行為が現になされている疑いがある場合や、そのような行為が行われるおそれが顕著である場合であって、その行為が犯罪に関連している場合には、ホテルの管理者が自らその客室に立ち入るだけでなく、その施設管理権を実現するため、警察官へ協力を求め、警察官に客室の立入りを許し、客室内での犯罪の嫌疑等の解明をその職務質問に委ねることができると解すべきであり、本件においては、寺門巡査らは本件ホテルの責任者である篠原の承諾を得て三〇一号室に立ち入ったものであるから、何ら違法はない旨主張する。

(2) よって、検討するに、ホテルの客室に対してホテルの管理者の施設管理権が及ぶことは当然であるが、ホテルの管理者が、客室を客の休憩・宿泊の用に提供した場合には、その客もまた当該客室の利用支配権を取得し、入室後は起臥寝食等の日常生活に準ずる場に使用することからすれば、ホテルの管理者は、客の利用中は原則としてその承諾を得て客室へ立ち入るべきであり、客の意思に反する客室への立入りが認められるのは、客室において客室の管理に支障を及ぼすような行為が現に行われている疑いがあるとき、もしくは、右のような行為が行われるおそれが顕著であるとき、または、宿泊料金の支払い等の宿泊に関する事由について面談する必要があるときなど、客室への立入りの必要性と合理的な理由がある場合に限られるというべきである。

そして、管理者が施設管理権に基づいて客の意思に反して客室に立ち入ることができる場合であって、警察官は、公平中正にその責務を遂行すべき立場にある(警察法二条)ことからすると、客の平穏な占有やプライバシーの保護にも意を用いなければならないのであって、管理者の依頼があれば直ちに客室に立ち入ることができるわけではなく、犯罪の捜査・予防の目的で客の平穏な占有やプライバシーを侵害してまで客室に立ち入るためには、警察官職務執行法(以下「警職法」という。)六条一項の要件を充たしたり、当該客室を捜索場所とする捜索許可状の発付を得るなど、強制処分を許す法令上の根拠を必要とするものと解される。

(3) そこで、本件についてみるに、〈1〉被告人が予定時刻を過ぎてもチェックアウトの手続きをとらず、ホテルのフロント担当者から再三催促されても、曖昧な態度をとって、宿泊料金の精算をしようとしなかったこと、〈2〉被告人が入れ墨をしており、暴力団と関係を有する素行不良者と強く疑われたこと、〈3〉被告人が、一度に五缶もの多量の飲料水(ポカリスエット)を一人で注文し、篠原に対し、「この部屋は二つに分かれているんじゃないか」などと意味不明の言葉を発したことなどからすると、ホテルの責任者である篠原が、無銭宿泊あるいは薬物使用の危惧を抱いて一一〇番通報したことも無理からぬことである。しかし、〈1〉被告人がチェックアウト予定時刻を超過したのは二、三時間にとどまること、〈2〉被告人が、「この部屋は二つに分かれているんじゃないか」などと言ったのは、被告人が洗面台の鏡の縁に注射器で水をかけていたずらをし、その反射等から鏡の向こうに部屋があるように見えたことを口にしただけであり(乙二号証)、被告人が薬物使用による幻覚症状に襲われていたものではなく、ホテル側からの一一〇番通報も、主として被告人をホテルから出してもらうことにあり、現に、最初に来たのは近くの駐在所勤務の警察官一人であるところ、同警察官が、被告人が入れ墨をしており、薬物を使用しているかも知れないと聞かされて、一人では対応できないと考え、応援要請をしたことから、寺門巡査ら二名の警察官が駆けつけたのであり、ホテル側からの一一〇番通報はさほど緊迫した状況下のものではなかったと認められる。しかし、寺門巡査らが本件ホテルに到着し、篠原から事情説明を受けた時点においては、被告人について、無銭宿泊あるいは薬物犯罪の嫌疑があったということができ、警職法二条一項に定める職務質問の要件は存したといえる。

(4) 寺門巡査は、本件ホテルのフロントから三〇一号室に電話をかけ、被告人に「お客さん、お金払ってよ」と言い、被告人が、「分かった、分かった」と答えただけで、一方的に電話を切ってしまったため、寺門巡査らが、ホテル責任者の了解を得た上、三〇一号室に赴き、外ドアをノックした上、「お客さん、お金払ってよ」と声をかけ、被告人からの応答がなく、被告人が立入りを明示的に拒絶しなかったため、無施錠の外ドアを開けて内玄関に立ち入ったことは、その態様が平穏なものであった上、いまだ客室の居住部分にまで立ち入ったわけではないことからすると、被告人の平穏な占有やプライバシーの侵害の程度も軽微であり、被告人に対する職務質問を実施するためにはやむを得ない措置であって適法といえる。

(5) ところで、寺門巡査が、閉まっている内ドア越しに、室内に向かって再度「お客さん、お金払ってよ」と声をかけ、被告人が、「分かった、分かった。払うよ」と言いながら出て来て、内ドアを二、三十センチメートルくらい開け、寺門巡査と目が合うや、慌てて内ドアを閉めたことは、被告人の無銭宿泊あるいは立てこもり(不退去)の嫌疑を弱めるものであるが、しかし、その際に被告人が全裸で応対しようとしたことは、いわゆるラブホテルの客室内であり、被告人がシャワーを浴びた直後で衣類を身につける余裕がなかったにせよ、必ずしも尋常な行動とは言い難く、被告人が入れ墨をし暴力団関係者らしき風体をしていたことを併せ考えると、被告人が覚せい剤を使用していた疑いをもたれてもやむを得ないのであり、覚せい剤使用の嫌疑について職務質問をする必要性がさらに高まったことは否定できない。

そして、その職務質問の実施・継続を確保するため、被告人が自ら開けた客室のドアを閉めようとするときに、そのドアを手で引き留めたり、ドアとドア枠の間に足を挟み入れるなどして、ドアが閉まることを阻止するため必要かつ相当な有形力を行使することは、警職法二条一項に定める停止行為に準ずるものとして許されると解される。

しかしながら、ホテルの客室内の客に対する職務質問は、前述のとおり、客室内における客のプライバシー等が保護されるべきであることからすると、差し当たっては客室の出入口ドア付近においてなされるべきであり、寺門巡査らが、客の了解を得ずに客室内に立ち入ることは、警職法六条一項に該当する場合などを除き、原則として許されないというべきであるところ、本件においては、無銭宿泊や不退去の嫌疑が不十分であり、覚せい剤使用の嫌疑も、客観的証拠は何もなく、いわば捜査官の直感的なものに留まることからすれば、警職法六条一項に該当する事態にあったとは到底認められず、もとより寺門巡査らは捜索許可状等の令状の発付も得ていない。そうすると、客である被告人が、客室のドアを押し閉めて、応対を拒否する意思を明示しているのに、寺門巡査が、何ら説得をすることなく、直ちにドアを押し開けて客室内に立ち入ったことは、職務質問をするために必要かつ相当な行為とは認められず、任意処分である職務質問の手段として許される有形力の行使の限界を超えた違法なものといわざるを得ない。

(二) 寺門巡査らが被告人を現行犯人逮捕するまで約三〇分間にわたり押さえ続けた行為の違法性について

寺門巡査と溝口巡査は、右のとおり三〇一号室の客室内に立ち入り、両手を拳にして上から振り下ろすようにして殴りかかってきた被告人の両腕をつかんで、同室内のソファーに被告人を座らせ、被告人の両足をも押さえ付けて、被告人を現行犯人逮捕するまで約三〇分間にわたり、被告人の身体をソファーに押さえ続けて身動きすらままならない状態においたことは、逮捕と同視すべき事実上の身柄拘束というべきである。

この点について、検察官は、被告人が、内ドアを開けた寺門巡査に対し、両手拳を振り下ろして殴りかかろうとしたことに加え、その後も、手を振りほどこうとしたり、足をばたつかせたりして終始暴れ続けていたことに照らすと、寺門巡査らが被告人の両腕・両足を押さえていなければ、逆に被告人から暴行を加えられかねない危険があったのであり、寺門巡査らが被告人をソファーに押さえ付け、さらに、その後もそのまま押さえ続けた行為は、被告人の公務執行妨害行為である暴行行為を制止する目的からなされたものであるから、警職法五条に定める「犯罪の制止」に当たり、また、職務質問を継続するために許される有形力の行使としても適法である旨主張する。

しかし、寺門巡査らの三〇一号室への立入りが違法であることは前示のとおりであり、そうすると、被告人が寺門巡査に対して殴りかかった行為は公務執行妨害行為に該当せず、現に寺門巡査も、公務執行妨害に対する逮捕行為ではなく、暴行に対する制止行為である旨証言しているところである。そこで、被告人の暴行に対する制止行為として検討するに、被告人の暴力行為なるものは、ドアを押さえて立入りを拒否したのに、寺門巡査がドアを押し開けて客室内に立ち入ってきたため、被告人が追い出そうとして反撃に出たものとみられるのであり、寺門巡査の立入りが違法である上、被告人が当時全裸であったことなどからすると、あながち被告人の右挙動を違法な暴力行為とは評価しがたく、そのような被告人を制圧して取り押さえた寺門巡査らの行為が、警職法五条の犯罪制止行為に当たるとみることができないばかりか、凶器を携帯していないことが明らかな全裸の被告人を直ちに取り押さえた上、他の警察官もいる中で、警察官が二人がかりで約三〇分もの間ソファーに押さえ続けたのは、被告人が暴れて抵抗していたことや応援の警察官が駆けつけるのに時間を要したこと、その後覚せい剤を発見してその予試験が必要となったことなどの事態の進展を考慮に入れても、もはや職務質問を継続するために許される有形力の行使の範囲を著しく逸脱した違法な身柄といわざるを得ない。

(三) 被告人の財布に対する所持品検査の違法性について

上原巡査ら警察官三名は、取り押さえた被告人に対して、口々に何度も「財布の中を見ていいか。見るぞ。いいか」などと言い、被告人の財布の中を検査させるように承諾を求め、渋っていた被告人の頭が下がるのを見て、上原巡査が、被告人の承諾を得たものと判断し、右財布の中を検査して、本件覚せい剤を発見したのであるが、被告人は、寺門・溝口両巡査からソファーに押さえ付けられて身動きすらままならない状態にあったことに加え、その前に寺門巡査らの立入りを明確に拒み、終始右拘束から逃れようともがき続け、逮捕する旨告げられるやさらに暴れ出し、保護バンドや保護マットを使って拘束されていること、後記のとおり、被告人は、尿の任意提出を頑なに拒み、捜索差押許可状を示されても、自ら尿を出そうとせず、警察官二名で被告人の体を押さえ付けた上、医師がカテーテルにより被告人の尿道から尿を採取していることなどの被告人に態度に照らすと、上原巡査が被告人の財布を検査することについて、被告人が任意に承諾したものとは到底認め難い。

この点について、検察官は、〈1〉上原巡査は、被告人が床上に放置していた二つ折りの財布を広げ、既にファスナーが開いていた状態の小銭入れの中を一瞥したにすぎず、しかも、右小銭入れを開いて一瞥すれば容易に覚せい剤の存在を確認しうる状況にあったこと、〈2〉所持品検査の必要性・緊急性が著しく高い状況にあったこと、〈3〉検査された箇所が財布の中にすぎず、守られるべきプライバシーの程度も比較的低いと考えられることなどから、本件の所持品検査は、職務質問に付随する行為として許容される旨主張するが、右財布は、寺門巡査らが違法に客室に立ち入って初めて発見したものであり、かつ、被告人の身体を違法に拘束した上でその検査がなされていることなどからすると、これを職務質問に付随する行為として正当化することはできないというべきである。

(四) 被告人を現行犯人逮捕した上、本件覚せい剤を差し押さえた点の違法性について

その後、薬物犯罪の専務員である清水巡査が三〇一号室に到着し、本件覚せい剤について予試験を実施して陽性反応が認められたことから、被告人を現行犯人逮捕した上、本件覚せい剤のほか、室内にあった注射器等を差し押さえたのであるが、これに先立つ三〇一号室への寺門巡査らの立入り、被告人の身体拘束、所持品検査が違法である以上、これに依拠する現行犯人逮捕及び差押えも違法といわざるを得ない。

3  本件覚せい剤等の押収物及び鑑定書の証拠能力について

本件は、〈1〉寺門巡査らが、令状の発付を受けることなく、かつ、被告人の意思に反して、被告人が宿泊していたホテル客室のドアを押し開けて客室内に立ち入った上、〈2〉二人がかりで全裸の被告人を押さえ付けて抵抗できない状態で所持品検査を行い、本件覚せい剤を発見し、被告人をその所持の現行犯人として逮捕し、本件覚せい剤等を差し押さえたものである。

〈1〉の寺門巡査らの立入りが職務質問を実施する上で必要かつ相当な行為の範囲を逸脱した違法なものであり、〈2〉の被告人の取り押さえも、被告人が客室内に立ち入った寺門巡査に対して殴りかかったことを契機とするのではあるが、被告人を直ちに公務執行妨害罪等で逮捕し得る状況にあったわけではなく、警職法五条の犯罪制止行為に当たるとみることもできない上、寺門巡査らは、客室内に立ち入るや否や、直ちに被告人の両腕両足を拘束してその身体をソファーに押さえ付け、身動きできないようにする直接的かつ強度の身体の拘束を約三〇分間も続け、その間に、無銭宿泊あるいは不退去の嫌疑につき何ら事情聴取することなく、警察官の応援要請をし、被告人の所持品検査をして、覚せい剤を探し出し予試験を実施していることからすると、客室内に立ち入った時点における寺門巡査らの意図は、無銭宿泊あるいは不退去の犯罪捜査の点にはなく、専ら薬物犯罪を捜査することにあったとみざるを得ないのである。その薬物犯罪の嫌疑も、令状の発付を得られるほど十分なものではなく、いわば捜査官の直感に近いものであり、また、所持品検査が、被告人の任意の承諾を得て行われたものではなく、ホテル客室内への違法な立入り及び被告人の身体の違法な拘束を利用してなされた捜索に類似するものであることからすれば、令状主義潜脱の意図もたやすくは否定し難く、加えるに、密室でありかつ目撃者は一人にとどまるとはいえ、一般人であるホテルの責任者の面前で全裸の被告人を取り押さえ続けたことは、被告人の客室内におけるプライバシー等の侵害ばかりか、被告人の人権蹂躙も甚だしいというべきであることからすると、本件覚せい剤等の押収証拠物については、その押収手続に令状主義の精神を没却するような重大な違法があり、これを証拠として許容することは将来における類似の違法な捜査を抑制する見地から相当でないといわざるを得ない。

そうすると、被告人の現行犯人逮捕の際に押収された本件覚せい剤(甲一)、注射筒(甲二)及び注射針(甲三)並びに右覚せい剤及び注射針についての各鑑定書(二通、甲七、八)は、いずれも有罪認定の証拠とすることができないというべきである。

二  被告人の尿の採取手続等について

1  証人政所壽保及び同手塚正久の各公判供述、第二回公判調書中の証人工藤武久の供述部分、第三回及び第一〇回各公判調書中の証人宮田嘉彦の供述部分、第一〇回公判調書中の証人村山裕樹の供述部分、捜索差押許可状(甲五一)、写真撮影報告書(甲三六)、鑑定書(甲一三)、鑑定結果についての報告書(甲二四)、押収してある鑑託嘱託書(前同押号の五、甲二七)、被告人の公判供述、第九回公判調書中の被告人の供述部分によると、被告人の尿を採取した経緯等は、次のとおり認められる。

(一) 被告人は、福生警察署に連行された当日午後及び一三日午前、福生警察署生活安全課保安係司法警察員警部補手塚正久による取調べを受け、その際、被告人が尿の任意提出を拒んだため、同課課長代理政所壽保(以下「政所代理」という。)は、同一三日、東京地方裁判所八王子支部裁判官に対し、被告人の尿の捜索差押許可状(以下「強制採尿令状」という。)の発付を請求し、その発付を得た。なお、強制採尿令状請求にあたって添付された疎明資料は、現行犯人逮捕手続書(甲二五)、その際の捜索差押調書(甲二六)、覚せい剤の予試験の結果についての報告書、右逮捕現場で撮影した写真のほか、被告人を福生署へ連行した際の被告人の態度等を記載した捜査報告書などであった。

その上で、政所代理らは、再度被告人に対して尿を任意提出するよう説得したが、被告人が応じなかったため、政所代理、同課銃器薬物対策係長司法警察員警部補工藤武久(以下「工藤警部補」という。)、同係司法警察員巡査村山裕樹(以下「村山巡査」という。)他数名の警察官が、強制採尿を実施するため、同日午後二時ころ、被告人を同都福生市大字熊川九二七番地所在の西村医院まで連行した。

(二) 工藤警部補は、同医院診察室において、被告人及び医師西村邦康に対し、被告人の尿の強制採尿令状を提示した上、これを同医師に手渡し、同医師が、被告人に対し、再度右令状を示して、同室内のベッドに横になってズボンを下げるよう指示したが、被告人は、これに応じなかった。そこで、工藤警部補と村山巡査が、被告人をベッドの上に押さえ付けて被告人のズボンを脱がせ、同医師が、カテーテルを使用して同医院備付けの採尿用紙コップに被告人の尿を採取し、同医院の看護婦が、工藤警部補の指示に従い、警察側で用意した採尿容器を水洗いした上、右尿を右紙コップから右採尿容器に移し替えて蓋をした。そして、工藤警部補が、被告人に対して採尿容器の封緘紙に署名をするよう求めたが、被告人がこれを拒絶したことから、村山巡査において、右封緘紙の採尿署課隊欄に所定事項を記入し、さらに、被採尿者欄に被告人の氏名を書きかけたところ、その頭文字「x」の手へんのみを記入した時点で、その部分が被告人の自署すべきところと理解していた工藤警部補から止められた。その後、右看護婦が右採尿容器の蓋の上から右封緘紙を貼付した上、右封緘紙と右採尿容器本体にかけて指印を施して右採尿容器を封緘した後、村山巡査がこれを所携のアタッシュケースにしまった。なお、当日、同医院で強制採尿を実施したのは、被告人だけであった。

(三) 工藤警部補らは、同日午後三時すぎころ、被告人を連行して警視庁高尾警察署へ赴き、被告人の身柄を同署留置係へ引き渡すとともに、同係で保管中の前記現金及びカード類を差し押さえた。

その後、工藤警部補らは、右現金及びカード類並びに被告人の尿を携えて福生警察署へ戻ったが、右尿を鑑定嘱託に付する時間的余裕がなくなったため、村山巡査が、前記採尿容器本体に採尿年月日時刻、被告人の氏名、警察署名を黒マジックペンで記入して、備付けの冷蔵庫に保管し、翌一四日、科学捜査研究所へ鑑定を嘱託し、宮田がこれを鑑定した上、同月一八日、鑑定書(甲一二)を作成した。

2  被告人の尿についての鑑定書等の証拠能力について

右認定事実によれば、被告人からの尿の採取は、裁判官が発付した強制採尿令状に基づくものではあるが、その強制採尿手続に先行する被告人の現行犯人逮捕手続に前述のとおり重大な違法があり、右強制採尿令状の発付を求めるにあたって添付された疎明資料の主要なものが右の違法な先行手続により収集されたものであることからすると、右強制採尿令状の発付には重大な瑕疵があったといわざるを得ず、かかる強制採尿令状の執行により得られた被告人の尿についての鑑定書(甲一三)及び鑑定結果についての報告書(甲二四)を有罪認定の証拠として許容することは、将来における違法な捜査の抑制の見地から相当でないというべきであるから、いずれもその証拠能力を肯定することができない。

三  結論

そうすると、本件各公訴事実については、その使用・所持にかかる各物質が覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンであることについての証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 奥林潔 裁判官 田尻克已 裁判官 佐藤英彦)

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